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総合科学のはじまり

写真:1970年 教 養 部 B舘 竣 工 当 時 の 常 三 島 地 区

総合科学のはじまり: 研究と教育と陶治―学問を学ぶだけではなくパフォーマンスできる状態が望まれた1970年の改組案

徳島大学教養部資料集(平成5年)を振り返って。

1970年4月の改組資料では、大学を研究・教育の場だけではなく、普く社会に創造的に貢献できる人間教育をする場として捉えています。こうした教育学に基づいた理念は50年以上経過した2024年の現在も受け継がれています。今日では知識詰め込み型の教育から能力獲得型の教育が重要視されており、様々細分化されるうちAbilityは何かを成し遂げるための肉体的・精神的能力で、Facilityは生まれ持った能力、Literacyは日常生活で基盤となる能力、Skillは生活一般で発揮される能力、Competencyは特に仕事で必要とされる能力です。総合科学の学びとはすなわち秀でた研究と教育を基に、実践的取り組みにより本来の人間らしい感性を醸成し,向上的精神性と社会での実現能力を獲得するAbilityの形成ということです。人文・社会系を重視することでこうした教育機関としての哲学そして実践知の獲得を得るように努めてきました。学びとは何か、人間とは何か、理想となる社会とは何か、研究や教育的研鑽のみによらず社会の枠組みを総合的に捉え紡ぎ出す実践知の創造こそ総合科学部の魅力です。



徳島大学 改革準備調査委員会答申  昭和45年4月

わが国に大学がつくられてから,その大学の理念に大きな影響を与えてきたものは,ドイツのウイルヘルム・フォン・フンボルトの考え方であろう。彼の大学の理念は,端的には「象牙の塔」といわれるものである。大学は真理を探究し,学ぶことを学ぶための場所であり,そこには選ばれた人が集まってくるのである。しかしここでいう「象牙の塔」とは,国家権カや宗教的権威に対抗して,学問の立場を護るものであり,今日的な意味ではなし、このような真理にのみ仕える高い使命をもって大学に世俗的権力は干渉しえないものとされ,そこでは創造的精神が重んぜられた。ここに学問の自由と大学の自治の根拠があったのである。カール・ヤスパースはこのようなドイツの大学の本質に立って,大学の理念を多面的に展開している。彼によれば,大学の課題は,「研究者と生徒との共同体 Jのなかで真理を探究することである。すなわち大学の第一の関心事は,研究であるとしている。この研究によって探究された真理は伝達されるべきものであるから,教育が第二の大学の課題となってくる。しかしながら,単なる知識と技能の伝達は,真理の把握にとって不十分であれ真理の把揮はむしろ,全人の精神的形成を要求するゆえ,陶治(教養)が大学の第三の課題となる。このように,大学の機能を研究と教育と陶治の三つにおいた。本来,学問研究は人間の本性に某づくもっとも重要な創造的精神活動である。従って,学問によって深められた普遍的精神によってのみ人間は人間として存在する。かかる精神を開花せしめる場こそが大学である。大学における学問の研究は,ただ単に専門化,細分化のみに進むべきではなく,人類社会の発展の方向を深く洞察しつつ,諸科学の方法論に対して批判的に判断しうる能力と,人間性とのかかわりあいのなかで,諸知識を統合しうる知性を高めるものでなければならない。そしてかかる知性を具え,より良き社会を創造する人間を育成することが大学の任務である。

人文・社会系を充実させた真の総合科学部に向けた改革:

総合大学としての機能を十分発揮できるような改革がのぞまれる。総合大学は学問の諸分野の総合・相互交流・相互批判を通じて既成の学問体系の批判を活発にし,境界領域や新分野の開拓をめざす点に特色がある。徳島大学も現在4学部と教養部からなり,形のうえではたしかに総合大学ともいえるが,理科系の学部を主体としており,人文・社会系の学部がなく,総合大学というよりむしろ復合大学といった方がふさわしい現状である。今後,人文・社会系の充実をはかり、総合的な教育を行ないうるようにする必要がある。

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